AppleTV+の『レッスン in ケミストリー』、配信当初は料理番組がモチーフのドラマというのにピンとこなかったのと「化学の話、ちょっと難しそうかも」と素通りしていたのですが、Xで絶賛の声を見て観始めたら、すごくおもしろくかったです。Xで絶賛してくれた方々に感謝ですね。
物語の舞台は、1950年代のアメリカ。ブリー・ラーソン演じる化学一筋の主人公エリザベス・ゾットが、当時の性差別が根強い社会で多くの困難に直面しながら、波乱万丈の人生を送ります。なんと、ひょんなきっかけから、テレビの料理番組のホストをつとめることに…。
NHKの朝ドラのような女性の一代記。男尊女卑の社会に負けず怯まず実直に化学を志す主人公。変人だけど、とにかくまっすぐでぶれない魅力。朝ドラ好きの人にも刺さるドラマかと思います。
朝ドラのように実話をモデルにしているのか思ったのですが、ボニー・ガームスによる2022年の小説で、完全にフィクションというのに驚きました。
1話だいたい50分で全8話で美しく完結するリミテッドシリーズです。
特筆すべきは、シリーズを通しての構成の見事さ。「リミテッドシリーズ」という枠組みの魅力を最大限に引き出す構成だったと思います(詳しくは後述します)。そして、ほとんど笑わない化学一筋の主人公を演じるブリー・ラーソンの、まっすぐさと絶妙な変人感を兼ね備えたキャラクター造型と、ストーリーが進むごとに人間的な変化を見せるようになる演技もすばらしかったです。
キャスト紹介
エリザベス・ゾット(ブリー・ラーソン)
このドラマの主人公。ヘイスティングス研究所の実験助手で、化学の研究一筋で研究ヲタク。周りからは変わり者扱いされている。
演じるのは、マーベル映画「キャプテン・マーヴェル」のブリー・ラーソン。映画『ルーム』でアカデミー主演女優賞を受賞していますね。吹替は水樹奈々さん。こちらも圧巻の演技でした。
カルヴィン・エヴァンス(ルイス・プルマン)
エリザベスが勤めるヘイスティングス研究所のエース研究者。超優秀だが、こちらも化学一筋でかなり偏屈で、周りからは変わり者扱いされている。研究所でただ一人エリザベスの才能を認め、2人の間に化学反応が生まれることに。
演じるのはルイス・プルマン。ビル・プルマンの息子さんなんですね。映画『バッド・タイムス・アット・エル・ロワイヤル』で俳優デビュー。『トップガン: マーヴェリック』でボブ役を演じました。
ハリエット・スローン(アジャ・ナオミ・キング)
カルヴィンの隣人。地域を通る高速道路建設計画の反対運動を行っている。じきにエリザベスともつながりを持つように。
スローンを演じるのは、アジャ・ナオミ・キング。Netflixのドラマ『殺人を無罪にする方法』のミカエラ役で注目を集めました。ミカエラ役のころと比べると一気に大人になってて最初はミカエラの子だと気づきませんでした。
ウォルター・パイン(ケヴィン・サスマン)
あるきっかけでエリザベスの運命を大きく変えることになるテレビプロデューサー。
演じるのは、ケヴィン・サスマン。『ビッグバン★セオリー』のスチュアート・ブルーム役で知られています。
ネタバレなし見どころ紹介 ブリー・ラーソンの凛とした眼力
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このドラマの魅力は、何といっても主人公エリザベス・ゾットの強烈な個性です。
物語前半の、化学研究一筋のまっすぐさと全く笑わない変人ぶりとのバランスの絶妙さ!
強制されてミスコンに渋々出るも、ミスコンですら全く笑わず途中ですっぽかすという、周りの空気を全く読まない性格の一方で、ゾット本人の原理原則が一貫しているので痛快ですらあります。
そんな強烈な個性の登場人物が主人公の場合、主人公を演じる俳優さんの演技がそのままドラマの成否につながりますが、ブリー・ラーソンの化学一筋の変人演技の説得力、すばらしかったです。特に、男尊女卑の職場・社会で、目上の相手にもひるまずまっすぐ見つめる眼力の強さ、圧巻でした。
その”変人”ゾットが、さまざまな経験・出会いを通じて、ストーリーが進むごとに人間味を増していきます。1話では全くといっていいほど笑わなかったゾットが、カルヴィンとの恋や娘の誕生で、表情がどんどん柔らかくなっていくんですね。
『レッスン in ケミストリー』の「ケミストリー」は人との出会いによるケミストリー(化学反応)なのだなと感じました。
ゾットの経年変化を細やかに表現するブリー・ラーソンの演技がすばらしくて、回を追うごとにどんどんゾットを好きになりました。特に、娘のマッドと接するときの優しい眼差し見ると、「あのゾットが、すっかり人間らしくなって」と感動すら覚えました。
そのゾットの日本語吹き替えは声優の水樹奈々さん。ゾットの凛とした佇まいにぴったり合う声の演技だった思います。
ネタバレ感想 シリーズ構成の見事さ
※ここからはネタバレをふんだんに含むので、未視聴の方はご注意ください※
「レッスン in ケミストリー」で見事だと感じたのは、リミテッドシリーズという枠組みを活かした、全8話を通したシリーズ構成の妙です。
予想外のストーリー展開に、気持ちよく裏切られました。
・ドラマを観始める前は「化学者の主人公が料理番組をするドラマ」だと思っていたのに、ゾットが料理番組に出るようになるのを、全8話中5話の後半まで引っ張る大胆さ
・2話でカルヴィンとのロマンスが始まったと思ったら、その2話でカルヴィンを退場させる急展開
・3話で、カルヴィンが亡くなってどん底のゾットのストーリーを、なんと飼い犬のシックスサーティの目線で語たらせるアイデア
・極めつけは、2話で亡くなったカルヴィン目線の回想回を、なんと最終回前の7話でほぼ1話分使って展開したのはしびれました。
カルヴィンを生い立ちを深堀りすることで、カルヴィンにとってゾットがいかに特別な存在だったのかを表現し、ここまでのストーリーにさらなる奥行きを与えました。出会いのケミストリー(化学反応)によって変わったのは、ゾットだけじゃなくカルヴィンもだったんですね。
しかも、化学者と神父との手紙のやりとり、という語り口も、「化学一筋のカルヴィンが、ゾットと出会い、真実の愛の神秘を知る」という物語と綺麗にシンクロして、粋でしたね。
「全8話の連続したストーリーでありながら、それぞれの話数で独立した演出・仕掛けを行い、ドラマ全体に更なる奥行きをもたらす」というのが、リミテッドシリーズのフォーマットの魅力をより引き出すシリーズ構成だと感じました。しかもその仕掛けのひとつひとつが化学反応を起こして、全体で美しいストーリーを完成させるいう見事さでした。
ドラマの最終話のラストシーン、化学者に戻って教壇に立つゾットの言葉が、このドラマのゾットの人生を表しつつ、わたしたちに人生というものについて考えさせてくれる、ドラマのしめくくりに完璧な言葉でした。
ゾットがカルヴィンと出会って「変化」したように、まさに、人生における「出会いのケミストリー(化学反応)」についてのレッスンの言葉ですね。
「生物は原子で構成されている。でもほとんどの場合原子は単独ではなく、原子同士互いに作用しあっている。
分子を構成するほどの強い結合も、一時的な弱い結合も、生命の存在に必要不可欠なの」
「原子のつながりは人生と同じよ。何とつながるかは予測できない。振り返って初めて、すべてがどうつながっていたかわかる」
「化学反応において唯一の不変の要素は変化。予測はできない。ここで学ぶのはそれを避けることではない。変化は制御できない。できることははただ一つ。あきらめる。」
「あえて悪い出来事は受け入れる必要はないけど、変化が必然的なものは受け入れなくてはならないの。」
ドラマや映画を観て、原作本を読みたくなることそれほどないのですが、このドラマは、見ると原作本を読みたくなるドラマですね。それと、ディケンズの「大いなる遺産」も猛烈に読みたくなりました(笑)
おまけ
あと、ゾットの娘マッド役の子がとにかくかわいくて、加えて、不機嫌な表情やおませな演技もとても魅力的で、将来すごい女優さんになるのではと思いました。後半のストーリーの陰の主役でしたね。演じたアリス・ハルジーは、どうやらこのドラマが初めての大きな役みたいです。アリス・ハルジーっていう名前、覚えておこうと思います。