Netflixで新たに制作されたドラマ「リプリー」。アンドリュー・スコット主演の全8話のリミテッドシリーズです。それに合わせてか1999年公開の映画版「リプリー」もNetflixで配信が始まりました。こちらはマット・デイモンが主演。せっかくなので、ドラマ版と映画版を見比べてみました。それぞれの作品の違いと魅力を考察してみます。
ネタバレなし ドラマ版・映画版それぞれの「リプリー」
ドラマ版のNetflixのあらすじはこちら
特殊な仕事を引き受けたペテン師はイタリアに渡り、富と特権を享受する世界へと引き込まれてゆく。だが、彼が憧れる生活を手にするには、幾重にもうそを重ね続けなくてはならなかった。
1999年の映画版のNetflixのあらすじはこちら
言葉巧みなトム・リプリーは実業家の息子に気に入られ、魅力あふれる彼の豪華な日常へと足を踏み入れる。うそを重ねてきたリプリーは真実が発覚するのを恐れ、過激な手段に手を染めてゆく。
あらすじ、似てますよね。
もちろん、どちらもパトリシア・ハイスミスの小説『The talented Mr.Reply』を原作に映像化したものなので、ストーリーの大まかな流れは同じなんですが、実際に見てみると、演出はもちろん、主人公リプリーのキャラクター設定、そして描きたいテーマも異なっていて、同じ原作でここまで読後感が変わるものかと感心しながら楽しめました。
ちなみに映画版は、メインキャストのマット・デイモン、ジュード・ロウ、グウィネス・パルトロウのほかにも、重要な役どころでケイト様(ケイト・ブランシェット)とフィリップ・シーモア・ホフマンも出ていて、キャストがめちゃくちゃ豪華だなところもおすすめです。
ぜひ両作品を見比べてみると、脚色の違いでこれだけ違う作品になるのかと、より楽しめるかと思います。ここからはネタバレありでのそれぞれの作品の魅力と違いをご紹介します。
※ネタバレあり ドラマ版と映画版の魅力と違い
まずドラマ版から。なんといってもモノクロ(白黒)の映像が新鮮です。加えて、劇中、背景音楽も抑制的にしかかからず、かなりソリッドな作りです。モノクロ時代のサスペンス映画へのオマージュの作りかなと思います。
最近はモノクロの作品を見る機会が少ないことに加え、きっと最新の撮影技術・編集機材で色調整しているためか、モノクロ映像の陰影がものすごく繊細で、「古くて新しい」印象を受けます。リミテッドシリーズのドラマですが、映画館で映画を見ている感覚にすごく近い作品です。
アンドリュー・スコット演じるドラマ版リプリーのキャラクターは?
ドラマ版のリプリー役は、アンドリュー・スコット。ドラマ「SHERLOCK/シャーロック」好きの方にはモリアーティ役が鮮烈に刻まれているかと思います(私もその一人)。
モリアーティ役の印象が鮮烈すぎたため、アンドリュー・スコットのリプリーには、物語冒頭から疑って見始めてしまいましたが実際その通り。
あらすじにもあるように、ドラマ版リプリーは、そもそも「ペテン師」の設定。アンドリュー・スコットが演じているからか、奥底で何を考えているかわからない「サイコパス感」と、うっすらとした気持ち悪さがあります。
リプリーは、次から次に嘘をつき、罪を犯し続け窮地に陥りますが、さらに嘘をつき、罪を犯すことでその窮地を脱します。でも、その嘘と罪から次の窮地に陥って、という無限ループ。
ただそこには悲壮感は全くなく、淡々と嘘と罪を重ね続けるアンドリュー・スコット・リプリー。見ている方も、次第に「いいぞもっとやれ」な感じで感覚が麻痺してきてしまいます。
特に殺人後の死体の後始末のシーンは、これでもかというほど執拗に丁寧に描写されていて、サスペンスのはずなのにブラックコメディ風味があり思わず笑ってしまいました。
ドラマ版では、リプリーが犯罪を犯すのは、根本的には金目当て(悪党だから)、という描かれ方かと感じました。ただし、アンドリュー・スコットが演じてるのもあり、その動機にだいぶ余白というか観客にゆだねるところがあるようにも感じました。
マット・デイモン演じる映画版リプリーのキャラクターは?
一方、1999年映画版でマット・デイモンが演じる主人公リプリーの最大のポイントは、「ゲイ」であることが明確に描かれている点です。
マット・デイモンのリプリーは、ご覧の通り、ちょっと垢抜けないメガネ男子(でもかわいい)の好青年のイメージ。ドラマ版のペテン師ではなく、ホテルのボーイをしながら、ピアニストを目指しているという設定です。
ドラマ版同様、ニューヨークで、ある富豪からイタリアにいる道楽息子ディッキーを連れ戻すよう依頼を受けたリプリーは、イタリアに説得に行き、ディッキーと親しくなるのですが、映画版では、リプリーがディッキーに恋しているであろう描写がかなり明確に描かれます。
そして、リプリーが「ディッキーに恋していること」が、映画版ではストーリーの重要な鍵になりますが、その前に、映画版は、その「ディッキー」が大問題なので語らせてください。
映画版 ジュード・ロウとグウィネス・バルトロウの放つ眩しさ
私が感じた映画版リプリーの最大の破壊力、それはディッキー役のジュード・ロウの圧倒的なかっこよさ・美しさ。富豪の道楽息子で遊び人で女たらしのディッキーを、これでもかというほど魅力的に演じています。
自信家で傲慢でわがままでキレやすくて、な性格なのですが、その圧倒的な美しさで、それすらも魅力に転換してしまうという、厄介極まりない(誉め言葉)魔性のキャラクターです。
マット・デイモン演じるリプリーが憧れ、惹かれてしまうのもやむを得ない、贖えない色気です。
そして、ジュード・ロウ演じるディッキーとグウィネス・バルトロウ演じるマージのカップルも絵になりすぎました。手が届かない、完璧な上流階級感です。
リプリーはなぜディッキーを殺したのか?
結果的にはドラマでも映画でも、リプリーが、そのディッキーを殺してしまうことになるのですが、映画版のマット・デイモン・リプリーが殺人を犯してしまった理由は、ディッキーに「消えてほしい」「寄生虫」と自身の存在を否定されたこと。
密かに憧れ、恋をして、両思いだと思っていた(これはリプリーの思い込み)相手に、存在まで否定されるのはしんどいですよね。一時は親友のように接してくれていたディッキーが、まるで子どもがおもちゃに飽きて捨てるように、簡単に自分を捨ててひどい言葉を浴びせたことに、瞬間的に逆上してしまったのかなと。
一方、映画版に比べると、ドラマ版のディッキーはだいぶ存在感抑えめで(ジュード・ロウが存在感ありすぎたのもありますが)、リプリーのゲイ要素もあまり描かれておらず、物語は「謎の悪人リプリー」が主軸です。
ドラマ版でのリプリーがディッキーを殺すシーンも、これまでの嘘がばれて追い払われそうになったので「悪党リプリーの本領発揮」といった感じで、アンドリュー・スコットのキモ怪演が際立つ見せ方になっています。
ここがドラマ版と映画版とで最も大きな違いだと思いました。
ドラマ版でのリプリーの殺人には、ブラックコメディを感じたのとは対照的に、映画版でのリプリーの殺人は「悲劇的」で、嘘と罪を重ねる映画版のマット・デイモン・リプリーには、同情的な感情になりました。(一方のアンドリュー・スコット・リプリーには「いいぞもっとやれ」な感情)
映画版には、リプリー(とリプリーがなりすましているディッキー)に思いを寄せる2人の人物が登場します。偽ディッキーに恋するメレディス(ケイト・ブランシェット)と、リプリー本人に恋するピーター(ジャック・ダヴェンポート)。
2人ともドラマ版には出てこないキャラクターで、調べてみると、原作にもない、映画版オリジナルのキャラクターとのこと。ストーリー上、この2人の登場人物がすごく効いていると感じました。
偽ディッキーを愛するメレディスの存在が、リプリーの嘘をよりスリリングに魅せて、ゲイとして愛してくれるピーターの存在が、リプリーのゲイであることへの苦悩・孤独感をより際立たせる、見事な脚色だと思いました。
映画版は、リプリーが「ゲイであることを隠して生きていること」と「罪を隠すため嘘に嘘を重ねること」の2つの「偽り」が重なり合って、どれだけ偽りを重ねてもどこにもたどり着けない、リプリーの悲哀を感じさせました。
ラストのリプリーの独白。
「自分でもわからない。あの地下から出られない。秘密が眠る、恐ろしい場所。僕は独りきり、真っ暗だ。僕は偽った。自分が誰か、どこにいるのか、誰も見つけられない」
その「地下」はどんな場所だったのでしょうか?
エリオット・サムナーとフィリップ・シーモア・ホフマンのフレディ
もうひとつ、ドラマ版と映画版で、同じ役でのキャスティングの違いも興味深かったです。
映画版ではフィリップ・シーモア・ホフマンが演じたフレディ。リプリーのことを誰よりも先に疑い、殺されてしまう役ですが、映画ではフィリップ・シーモア・ホフマンが、典型的な金持ちボンボンを超イヤ~な感じで演じていたのに対して、ドラマ版は、初めて見る俳優さんの、鋭い眼光でリプリーに蛇のように絡みつく演技が印象的でした。
調べてみたら、エリオット・サムナーというミュージシャン・俳優で、スティングのお子さんだそう。フィリップ・シーモア・ホフマンのフレディのキャラクター造形とは全く違ったクールな演技プランで、登場時間は短かったですが鮮烈なインパクトでした。
殺されてからのリプリーのフレディの扱いがひどすぎて(死体だから仕方ないのですが)、フレディが、階段から壁からいろんなところに頭ぶつけてて、エリオット・サムナーの体大丈夫か心配になりました(笑)
まとめ リプリー見比べはかなりおすすめ
同じ原作を映像化した作品で、大きなストーリーラインは同じでも、骨格にするテーマと脚色と演出とキャスティングとで、完全に別作品としてそれぞれ楽しめました。
特に、それぞれの作品の脚色の違いを見比べることで、ドラマ・映画それぞれの作品で描こうとしたことが、よりクリアになったのがよかったです。
個人的には、ドラマチックなストーリーを求めるなら「映画版」、より「悪い」リプリーと映像美を楽しみたいなら「ドラマ版」がおすすめです。
ぜひ機会があったら見比べてみてください。